2009年06月16日

門田隆将「神宮の奇跡」

でも、最後は駒沢球場だったということはおいといて。。。
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D1000922.JPGこれもある意味奇跡?
ということで、昨日はプロ野球の試合がなかったし、ジェット風船復活の動きについての賛否は「(仮称)野球ファン応援団」内のブログアンケートでお聞きするとして、こちらでは野球関連の本の読書感想文でも
門田隆将「神宮の奇跡」(講談社)
その時、皇太子(今上天皇)も感動に震えた!
高度経済成長前夜 「戦後」を断ち切るかのように「奇跡」は起こった
ベストセラー作家が渾身の取材で描き出す「あの試合とあの時代」

球史上、神宮球場がもっとも揺れた「死闘」
昭和33年11月、東都大学野球一部リーグの頂点をかけて、3つの大学が優勝決定戦に挑んだ。

「では、その学校がなぜ優勝できたのでしょうか。それは、特別なことは何もありません。ただ、ひとつのプレーをおろそかにしない、相手が強大であってもこつこつと戦いを挑んでいく、どんなに劣勢になろうが絶対にあきらめない、環境がたとえ劣っていても、自分に与えられた条件の中で粛々と努力をつづける――そんな当たり前のことを彼らがやってのけたからに過ぎません。それはその後、高度経済成長の中で日本人ひとりひとりが成し遂げたこと、そのものでした。」 ――<「はじめに」より>

これも、フルスイング(原作名:甲子園への遺言)同様、ドラマ化希望ですね。

井元さんのゆうとおり、
「野球は命までは取られませんから」
の気持ちで。。
⇒特にこのチームあの人この人に言っておきたい。
⇒というか、監督以下全員にこの本必読や!

⇒もっとも、打球が直撃して命を失った人はいるんですけどね。。。

それはともかく、この本を読んで、学習院大学東都大学リーグの一部で優勝したことがあるって始めて知りましたよ。
今は、自分の母校と同じ第3部ですしね。

それに、学生時代自分の母校に野球部があるなんて知りませんでしたよ。
女子野球部なら強豪らしいんですけどね。


<ご参考>
【書評】『神宮の奇跡』門田隆将著(産経)
昭和33年秋、神宮球場に奇跡が起こった−。皇太子さま(今の天皇陛下)も応援に駆けつけたこのシーズン、東都大学野球の1部リーグは中大、日大、学習院大が勝ち点3、勝率もまったく同じで並んだ。このため、3校による優勝決定戦となったが、それも3校が2勝1敗。さらに、再度の優勝決定戦に。甲子園経験者はもちろん、有力選手すらおらず、3校で最も可能性が低いとみられていた学習院が、驚異的なチームワークを発揮して奇跡の初優勝を果たす。
 マウンドには終戦時、朝鮮半島で辛酸をなめ、家族を失った無名の投手の姿があった。初優勝から3日後「皇太子妃・美智子」が発表された。そこにも皇太子さまの大逆転劇があった。「三丁目の夕日」の時代の日本人のひたむきさがほの見える。


Amazonから内容紹介
昭和33年11月、東都大学野球1部リーグは三校が同じ勝率で並び、前代未聞の巴戦による優勝決定戦に突入した。
中央大学、日本大学、そして学習院大学。一人の甲子園球児もいない学習院大学は、のちにプロ入りするメンバーがずらりと並ぶ強豪に敢然と立ち向かった。
そのマウンドを守ったのは、引き揚げの時に父や妹たちを失い、天涯孤独となって祖国日本へ帰り着いた井元俊秀だった。
戦争を引きずった若者たちが必死に強大な敵に立ち向かっていく中、それを応援し、見守った皇太子殿下(今上天皇)も、
大きな“闘い”を抱えていた。
3度も繰り返された優勝決定戦の末に学習院大学が偉業を成し遂げた時、「天皇家」にももう一つの奇跡がもたらされていた――。

「皇太子妃・正田美智子」が発表され、日本中が「ミッチー・ブーム」に沸き返るまでの知られざる物語。
それはまさに、日本が「戦後」を払拭し、爆発的な発展に向けて走り始める「瞬間」の出来事だった。
日本が夢と希望に満ちていた時代の「奇跡」が、現代に問いかけるものとは――。

「プロローグ」より

「これで死なないですむ……」
頬がこけ、顔色は青白く、ボロをまとった一人の少年が、釜山からの引き揚げ船「徳寿丸」からこの地に降り立ったのは、
昭和二十一年六月二十一日のことである。
「本当に日本に帰ってきた……」
わずか九歳に過ぎないこの少年が祖国の地を生きて踏んだこと自体が奇跡だったと言えるだろう。
血のつながった肉親を失い、事実上の天涯孤独となって日本に辿り着いたこの少年は、乗船した釜山港で、ダニやノミ、虱の
退治のために身体が真っ白になるまでDDTをぶっかけられた。過酷な逃避行によって痩せさらばえ、栄養失調に近い哀れな姿を
博多港の潮風に晒していた少年は、それから十二年後、学生野球のメッカ・神宮球場のマウンドに立っていた。
昭和三十三年秋――。
逞しい青年に成長した彼は、母校の名誉をその右腕に託され、渾身の力を込めて神宮のマウンドで投げつづけたのである。
スタンドには、皇太子殿下(今上天皇)や義宮正仁親王(のちの常陸宮)、清宮(すがのみや)貴子内親王が駆けつけ、
学校は授業を休講として、全校生徒が球場に繰り出していた。歓声、悲鳴、絶叫……異様な空気の中での死闘はつづいた。
(略)しかし、その不屈の精神力が培われた根源が、近代日本が歩んだ悲劇の「現代史」を抜きにして考えることができない
ことを知った時、深い感慨を覚えずにはいられない。
その奇跡は、五十年という気の遠くなるような年月を経ても、褪せることのない光芒を放ち、私たちに、スポーツとは何か、
そして「戦争」とは何か、を今も問いかけてくるのである。


e-honから
[要旨]
昭和33年11月、東都大学野球一部リーグの頂点をかけて、三つの大学が優勝決定戦に挑んだ。高度経済成長前夜「戦後」を断ち切るかのように「奇跡」は起こった。ベストセラー作家が渾身の取材で描き出す「あの試合とあの時代」。スポーツとは何か、戦争とは何か。
[目次]
朝鮮からの帰還者
陸軍大尉の登場
母のいないキャプテン
明仁殿下と野球
集まった個性派たち
最下位の屈辱
のし上がったバッティング投手
過酷な練習の日々
血染めのボール
奇跡は始まった
優勝目前の失速
不思議なサヨナラヒット
皇太子の応援
死闘の末に
もう一つの「逆転劇」
母のスクラップブック
新たな「日本一」を目指して

JOG-Mag No.593 神宮の気迫、東宮の気概(上) 〜学習院大学野球部の死闘JOG-Mag No.594 神宮の気迫、東宮の気概(下) 〜 二つの奇跡(メルマガ:Japan on the Globe−国際派日本人養成講座)
この本を読む時間がない方もこちらをお読みいただければ。。。

イチオシ!スポーツBook Review(日本トップリーグ連携機構)
耳で立ち読み 新刊ラジオでの紹介

神宮の奇跡 (白日のブログ)
昭和生まれの野球ファンは必読の書「神宮の奇跡」門田隆将著(迷解!スポーツ観戦記)
「神宮の奇跡」(横尾弘一の「野球とともに生きている」)
神宮の奇跡(一美のはだかのオレ様)


ちなみに、この本の主人公とも言えるエース投手の井元俊秀氏は、高校時代はPL学園一期生(野球部創設者)。学習院卒業後はPLの監督→スポニチ記者(7年)を経て再びPL監督という経歴を経て、平成13年から青森山田高校の教育顧問を務めています。

PL学園が最近弱くなった理由は、何ですか?(Yahoo!知恵袋)
最大の理由はPL学園を監督、部長として野球の強豪に育て上げ、KKや福留はじめ数多くの選手をスカウトした井元俊秀氏が去ったことです。

井元氏は監督、部長としてPLの野球の礎を築き、また自分の人脈を利用し数多くの有望選手をスカウトしてきました。そのスカウト網は大阪、兵庫のみならず九州や東北まで及んでいたそうです。

また、当時の皇太子(今上天皇)と同級生の草刈廣は、皇太子とキャッチボールをする関係で、一部昇格の原動力。

皇太子のご成婚も難儀した。
学習院野球部の一部優勝が後押しとなった。
そういうめぐりあわせ。


神宮の奇跡

神宮の奇跡

  • 作者: 門田 隆将
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/11/21
  • メディア: 単行本



■著者紹介 
門田 隆将 (カドタ リュウショウ)       
1958年、高知県安芸市生まれ。中央大学法学部卒業後、出版社に勤務。雑誌メディアを中心に、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなどの幅広いジャンルで活躍する。2008年3月、出版社を退職し、ジャーナリストとして独立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 00:00| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ関連読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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