あの場面、自分もNHK BS-1の中継を見てたんですけど、背筋が凍りつく思いでしたね。
勝敗の流れで見れば、あのダイビングキャッチが取れていれば連敗ストップだったんですけどね。→詳細スコア
これぞ「泣きっ面にハチ」 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
ともあれ、赤☆が再びグラウンドに立てる日が来ることを願って祈念のワンクリックお願いします→人気ブログランキング
この件については、既に人気ブログランキング経由でいろいろな方のエントリーをごらんいただけると思います。
自分は男の子は「野球選手」、女の子は10年連続「食べ物屋さん」という日本生命のアンケート結果をベースに「子供の夢を壊すなタイガース」というエントリーでも書こうと思ったんですが、うまくまとまらないので、今回は子供の頃の夢を実現した野球選手の本の読書感想文を上げます。
本人のHPから
―ホームランに魅せられた男―「門田博光の本塁打一閃」
「ひたすら」にこだわった男のきらり輝く野球人生・・・・
1m70pの短身で、人より長いバットを握り、昼となく夜となく振って振って振り抜いて、人が打てない“鉛の球“を相手にホームランを打つことにこだわり続けた打者生活23年。
昨秋、病に倒れ、病院のベッドで長かった野球生活を振り返った。自分のバッティング人生をなんらかの形でまとめたい。引退後、誰かを教え、指導する機会はなかったが、“門田博光の世界“を残しておきたい。そんな使命にも似た思いが胸にこみ上げる。そして今年野球殿堂入りを機に、自らの野球への、バッティングへの思いを静かに綴った。球界の団塊ヒーロー、初の自伝的エッセイ。
この本のツボ
野球選手としては小さい門田さんが、プロで通算本塁打567本(歴代3位)、通算打点1678打点(歴代3位)という実績を残すようになるまでの努力の過程とかについては、人気Blog Rankingなどに書評があるかも知れないのでそちらを参照してもらうとして、自分はこの高校時代のエピソードを紹介して書評に代えていただきます。
↓
甲子園での試合前、大阪大鉄高がサヨナラ負けのポテンヒットがセンター福本の前に落ちてサヨナラ負け。
門田さんが、プロ入り後かなりたってから
「フクちゃん、あういうときはどういう気持ちや。やっぱり気持ちが沈んだやろ」と聞いたところ、福本さんいわく、
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「いいや、これで夏の大会も終わりだと思ったらスッキリした」
いかにも、福本さんらしい。。。
ちなみに、福本豊語録集の中にはこのエピソードありません。
【その他の書評】
・『門田博光の本塁打一閃』(Blue Thursday)
・「読書メモ:『門田博光の本塁打一閃』」(TAMO2ちんの日常)
・30歳、男は悩むものです。(家庭が一番!サラリーマン家庭論)
<目次>
・復活・子どもたちとの約束―第二のホームラン人生へ
・アキレス腱断裂―入院‐絶望の淵から
・野球との出合い―少年時代‐高校時代
・クラレ岡山→南海入りまで
・南海入りから三番打者へ
・「ヒット」と「ホームラン」の間
・野村監督、歯医者、左投手、体
・投手たちとの戦い
・門田流バッティングのディテール
・11年目で、ついにホームラン40本の大台に
・月間ホームラン記録と44ホーマー
・Bクラス・チームの悲哀と北海道
・40歳プロ野球記録更新と「さらば南海」
・ブーマー、福岡、野茂との最後の打席
Wikiからプロフィール
門田 博光(かどた ひろみつ、1948年2月26日 - )は、山口県小野田市(現:山陽小野田市)生まれ、奈良県五條市育ちのプロ野球選手(外野手、指名打者)。天理高校から社会人野球チームクラレ岡山を経て、1969年のドラフト2位で南海から指名され、1970年入団。左投げ左打ち。現役時代は南海・ダイエー、オリックスで活躍した。40歳を超えても活躍した数少ない選手。