2007年11月18日

山際淳司「男たちのゲームセット〜巨人・阪神激闘記」を途中まで読んで自分の阪神ファンとしての経緯をおさらい



野球界もオフに入って、明日は大・社ドラフトの件を取り上げるとして、FAやらトレードやらの話って、途中経過の段階でどうこう言ってもキリがないので、自分は決定した件についてのみ触れ、それまでのことは人気ブログランキング野球部門に譲るとして、今回は野球関連の本を途中まで読んで、その内容の紹介とか感想とかではなく、自分の阪神ファンとしての原点に思いをはせて。。。

赤松さん、「野村本」とかは難しいだろうからまずはこういう本から読んだらええんよ。。。

著者の山際淳司氏は、既に故人となっておられますが、氏を一躍有名にしたのはあの「江夏の21球」というノンフィクション小説。その著者がこの本では、阪神タイガースが最後の試合で優勝を巨人にさらわれた1973年のシーズンのことを取り上げてます。

山際淳司「男たちのゲームセット―巨人・阪神激闘記」(角川文庫)
1973年のプロ野球セ・リーグ。長嶋、王がまだ現役で巨人のV9達成がかかった年だった。巨人のライバルである阪神は、エース江夏、主砲に田淵を擁し、 V9を阻もうと、燃えていた。巨人と阪神の優勝争いは、直接対決の最終戦までもつれこんだ。このプロ野球史上まれにみる一年の、選手そして監督、コーチなどそれぞれの動きにスポットを当て、激闘の裏にある男たちのドラマを描き出す。山際淳司の遺作となった最後のスポーツ・ノンフィクション。

自分はこの頃は小学校高学年だったので、1973年10月22日のその試合のことはおぼろげながら阪神ファンの父親が激怒してしていたという記憶があったような。。。。

関東在住だったので、自分の周りは巨人ファンしかいなかったはずだし、確か小学校(同じ小学校の何年か先輩にこの人)で野球帽の着用が義務付けられていて、その当時はG帽子しか店では普通に売ってなくて嫌々かぶらされたような記憶が。。。

自分の阪神ファンとしての原点は父親の影響が強かったように思うけど、野球観戦に連れて行ってもらったのはほんの数回しかなかったはず。
生まれて初めて野球観戦したのは、1970年10月の川崎球場の大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)対阪神、大洋対どこか(記憶があいまい)の変則ダブルヘッダーでした。これは、近所に住んでいた同級生の父親に連れて行かれたもの。
父親と弟の3人で行ったので、記憶が鮮明なのは田淵さんがいた頃の神宮球場のヤクルト−阪神戦が何試合かと、1976年の後楽園球場人工芝こけら落としのセ・リーグトーナメント大会。

中学2年の頃、阪神ファン組3名と巨人ファン組3名とでいつもつるんでいたような記憶が。。。

高校に入った1978年オフには「空白の一日」事件があって、ますます巨人が嫌いになりましたね。小林投手の活躍には大喝采していた記憶が。。。小林投手が投げる巨人−阪神戦のTV中継は必ず見てましたが、それ以外は基本的にはあまり野球中継を見ていた記憶がないのです。

大学に入ってからも、後楽園球場まで黄色い電車で3駅、明治神宮野球場まで1駅(もしくは歩いてもいける)という好立地のところに通っていながら、観戦に行ったのは年に1回あるかないか程度。
むしろ、その頃は田淵の移籍した西武の方を応援していたような記憶が。。。特に、1983年の日本シリーズは西武応援に力が入ってましたね。

そんな中、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝、そして2リーグ制後初の日本一になったのは、就職した1985年。
この年は何度か野球観戦に行こうと思ったものの、結局行かれずしまい。

その後、タイガースは1987年から2001年まで15年間にAクラスがたったの1回、最下位10回といういわゆる長期「暗黒時代」に入って、特に1989年まではほとんど野球場には足を運んでなくて、家で食事の時間帯にTVの野球中継があれば見る程度でしたね。

1990年8月の神宮でかずちゃんとの偶然の出会いがあって、それから1992年までは神宮、横浜、川崎を中心に月1回程度足を運んでましたね。
それからしばらく足が遠ざかった経緯はこちらの過去ログを見てもらうとして、暗黒時代後半はむしろ東京ドームの日ハム主催試合の方を多く見ていたはず。
というのも、当時の相方(以下「なっちゃん」)が「横浜」といえば「マリノス」が先に思い浮かぶ人で、東京ドームの日ハム−オリックス戦に連れて行って「長嶋監督」を探してもいないのに文句を言ってたくらい野球音痴だったのが、その試合でのイチローのレーザービームに魅せられてイチローファンになったから。

なっちゃんとは、新幹線では一緒ながらも、自分は新大阪経由で甲子園、彼女は新神戸経由でGS神戸ということが何回あったことか。。。。

その後、2003年のシーズン。18年ぶりの阪神タイガースの優勝間近の段階で、阪神ファンだった元カノの遺影持って試合を見て回ったのは自分です。すみません。 
って、そんな人多く見かけましたね。。。

当ブログが始まった2004年のシーズン以降のことはこのブログに記録してあるので、ブログ開設前の2003年までの阪神ファンとしての自分史の概要を書いてみました。


ということで、山際淳司「男たちのゲームセット―巨人・阪神激闘記」(角川文庫)を読み出してみたものの、1回で感想文書き切れそうもないので、またネタのないときに、今度は読書感想文にします(爆)

Wikiより:山際淳司氏
1980年に発行された文藝春秋社の『Sports Graphic Number』の創刊号に、「山際淳司」のペンネームを用いて、『江夏の21球』というノンフィクションを執筆した。この作品が大きく評判となり、たちまち彼はスポーツ・ノンフィクション作家としての地位を確立。以後、さまざまなスポーツをテーマにした作品などを発表した。
1995年5月29日、46歳の若さで急逝(胃ガンによる肝不全)。「サンデースポーツ」のキャスターを降板した直後のことであった。
作風
 山際の手法は、対象となる人物に直接会って徹底的に話を聞くなどの取材を重ねた上で、自らの視点で取材結果を冷静に分析し、その視点から全くぶれることなく分析結果とも言える文章を書いていくというものであった。「実際の現場を知らぬまま後付けの取材のみで記事を書いている」という現場主義の立場からの批判もあるが、ともすれば表面的な話を通り一遍の根性論などで片づける傾向が強かった日本のスポーツジャーナリズムの中にあって、徹底的な取材と冷静な分析、そしてそれに裏打ちされた分かりやすい文章は、それまで見られなかったものであり、多くの支持を得ていたのは事実である。



posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 13:06| ☔| Comment(4) | TrackBack(1) | スポーツ関連読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 山際淳司さんファンのこのワタクシとしては、興味深く拝見させていただきました。

 それよりも気になったのは、、、
>大学に入ってからも、後楽園球場まで黄色い電車で3駅、明治神宮野球場まで1駅(もしくは歩いてもいける)という好立地のところに通っていながら
 、、、という部分で、
 何回勘定しても、このワタクシの通ったところも、後楽園球場まで黄色い電車で3駅、明治神宮野球場まで1駅なのでした。。。
Posted by ぱんちょ at 2007年11月18日 17:18
>ぱんちょさん
ほぼ間違いなく、同じ大学出身かと。。。
Posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 2007年11月19日 05:37
 やっぱりそうですよね〜。
 これはこれはよろしくお願いいたします。
Posted by ぱんちょ at 2007年11月19日 12:22
>ぱんちょさん
こちらこそよろしくお願いします。 <m(__)m>
Posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 2007年11月20日 02:25
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