中西 太「西鉄ライオンズ最強の哲学」(ベースボール・マガジン社新書)
[日販MARCより]
今、三原 脩の勝負論、コーチングから学びとること。なぜ西鉄は強かったのか。そして、なぜ今も語り継がれるのか。三原談話を書きとめたものや、没後に残した膨大なメモを整理して「三原ノート」を作った著者が語る
この本は中西 太さんが西鉄ライオンズ時代を中心に三原さんを語るという内容構成になってます。
西鉄ライオンズといえば、豪放磊落な「野武士軍団」のイメージが強いですが、それは三原さんの選手の自主性にまかせながらも抑えるべきところはきちんと抑え、その能力を最大限に引き出す「遠心力野球」のなせる業。
どっかの監督さんも、選手の自主性任せな点がありますけど、三原さんを真似しているというより、何も考えてないと思えるんですが・・・
また、「野球は筋書きのないドラマである」という三原氏の名言はありますが、実際にはできること・やるべきことをきちんと積み上げていくことの大事さなどが書いてあります。
詳細説明
○ 監督は、技術・精神を調整するエンジニア
○ 「魔術師」は人間通だった
○ 合理的思考を好みつつも、直情径行
○ 勝負は実力5、運3、調子2
○ 自分の力量に相応した成果に向かって最善の努力
○ 花は咲きどき、咲かせどき
中西 太(なかにしふとし)
1933年、香川県高松市出身。高松第一高等学校卒業。52年、西鉄ライオンズに入団、同年、新人王を獲得。首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回。56年にはMVP。ベストナインに通算7回選出されている。62年に西鉄ライオンズ監督に就任(選手兼任)、63 年、リーグ優勝を果たす。69年、現役引退し、監督も退任。その後、ヤクルト、日本ハム、阪神、近鉄、巨人、ロッテ、オリックスで、監督、代理監督、コーチを務めた。99年に野球殿堂入り。
[BOOKデータベースより]
今、三原脩の勝負論、コーチングから学びとること。
ベンチにおいて、戦力に悪影響を与えるような雑談を禁ず。;
各国人は他人(友人)のことに関し、無関心であってもらいたい。個人的な友好関係とグラウンドにおける各人の立場が、チームプレーの上にはなんの関連もないようになってほしい。つまり、各人がプロ野球人としての独立独歩でプレーをしてもらいたい。プレーオンリーに徹してもらいたい。;
勝負の責任は監督にある。したがって選手は勝敗にとらわれず、何ものにも負けない闘志を持ってつねに最善の努力をする。;
情実は厳禁。プレーヤーの意見を尊重することと不平分子の声というものの判断を誤るな。→江本氏の件はここ;
チームを優秀なチームとして、さらにチームを優勝チームに作り上げることは、各選手に有形無形の利益をもたらす。選手諸君の名誉を高め、評価を高めることである。;
いい監督とは、ひじょうに常識的な言葉であるが、選手を使いこなすことができるかどうかである。;
自分の特色を練習によって見つけ出し、これを生かせよ。人のマネはダメである。;
フォームを矯正されたり、ひとつのプレーを強要されたりすると、技術的にも心理的にも窮屈になる。この窮屈さをもたらす心は、人間の本能とも思われる点でもあるが、これを克服するところに進歩がある。→加藤博一さんの件はここ;
各人は各自の名誉とチームの名誉を守り通す強烈なファイトを持て。これが野球人として長い生命を保つゆえんである。;
選手はよく打てるときも打てないときも、またどんなに勝っていても負けていても最後までファイトを持ってベストを尽くせ。〔ほか〕